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おたくの書斎です 綺麗な話も汚い話も

『下読み男子と投稿女子』という賛美歌。あるいはライトノベルにむけられたアガペー

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これは救済の物語です。

「わたし……小説は,教科書で紹介されているものしか,読んだことがなくて……。だから,絵が入っていたり,字が大きかったり小さかったり,カギ括弧がいくつも重なっていたり,めくったらページが真っ白だったりして,びっくりしたわ……。こんな小説があって,こんな書きかたがあるなんて」

氷雪の瞳がうっとりと細められ,頬がゆるみ,紅潮する。熱っぽい口調からも,そのとき読んだ本が,どれだけ新鮮な驚きと感動を与えてくれたかが,伝わってくる。

青も,朔太郎の部屋ではじめてライトノベルを読んだときのことを,あのとき感じた昂揚とともに思い出す。

それまでの小説の概念をくつがえし,自由に大胆に創りあげられた世界が,どれだけまばゆく,圧倒的だったか。そこで生きるキャラクターたちが,まるで目の前で話しているように感じられたことも。

下読み男子と投稿女子 -優しい空が見た、内気な海の話。』野村美月,えいひ(ファミ通文庫

読み終えて,なんだか大きい声を出したくなって,でもためらってしまって,「おもしろかった,おもしろかった」と呟いたところまではよかったのです。これはいいものを読んだ,とはしゃいでいました。

紹介しようとしたところで,手がとまりました。

ぜんぜんラノベっぽくないんです。とてもおとなしい。ヒロインは魅力的ながらも控えめで,ストーリーの起伏も静かで,笑っちゃうギャグ要素もない。

なのに,なんでわたしはこんなに興奮してるんだろう。「いいから,ちょっと読んでみてよ」といいたくなるんだろう。

描写が魅力的なのかな,と思いました。たしかにていねいに描写されていて,読みやすい文章です。でも,行動や風景の描写というよりも,主人公の想いのひとつひとつが──と,ここまで考えて,わかったんです。これは賛美歌だったんです。

賛美歌を歌う青くん,それを聞く氷雪ちゃんとわたしたち

読んでいると気づくんですけど,主人公の青くんが救ってるのって,ヒロインの氷雪ちゃん(だけ)じゃなくて,わたしたちなんですよ。

わたしは結構,オタク文化を「後ろめたく」感じますし,普段は隠しています。

ラノベを好きなひとが明るみに晒されると,しばしば「アンチ『アンチ・ラノベ』」という立場に追い込まれます。釈明を要求されます。「社会的に否とされているものを,あえて是とする」立場に追い込まれます。「少年ジャンプみたいなもんだよ」ならマシな言い訳で,「ラノベの定義」だの「発売数」だの,理屈っぽくなったりもします。理屈は戦いに使うものです。

でも主人公の青くんは,ラノベが好きだということについて,なにも後ろめたさがない。気負いもない。理屈もない。朗らかな顔で「面白いじゃん」って言ってるだけです。

もともと本を読むのは大好きで,新年度に配布される現国や古典の教科書は,すべてその日のうちに読んでしまったし,図書館では文学作品に海外のSFなに推理小説と,目につくものを片端から読み,どれもおもしろかった。

朔太郎の部屋ではじめて手にとったライトノベルは,それらの作品よりも等身大で,身近だった。主人公はほとんどが中学生か高校生で,青たちが普段使う言葉で地の文や会話が綴られるのも共感できたし,書かれている内容も,青たちが興味を持つようなことで,自分たちのための小説という気がした。

「そうそう,そうだったね」としみじみ思います。

はじめてライトノベルというジャンルを読んだころ,わたしの読む本はマジメな本ばかりでした。まさにヒロインの氷雪ちゃんと同じ境遇です。そして同じように,始めてラノベを読んだときは衝撃を受けました。本なのに,「お行儀のよくて褒められるもの」ではなく「ただ楽しいもの」でした。

でもなぜか,徐々にそうではなくなります。なぜかはわかりません。批判や批難ばかりが目につくようになります。明確に悪いものとして,表世界では隠さなければならないものとして,理解するようになります。そしてあるころから読まなくなりました。そんでもって,再開しました。

再開一発目に手に取ったのが本書でほんとうに幸福でした。

「これでよかったんだね。戦わなくても,争わなくても」という気持ちになります。年齢とともに隠したいものが増えました。屁理屈で逃げるのも得意になりました。ただまあ,こういう空間でだけなら,隠す必要もないですね。

主人公の青くん,ありがとう。わたしもラノベが大好きです。