岡八重吉.com

おたくの書斎です 綺麗な話も汚い話も

「書かされる時代」なんて言葉もあるけど,いい時代だ。教室の隅っこにいたわたしたちよ,はてなブログアカウントとハンドルネームを持て!

ホームページとかブログ,作っちゃいますよね。

わたしは何度も作ったことがあります。そして,今回はわたしのような教室の隅っこにいた人たちにむけて,「いい時代だよね,ほんと。むふふ」とやりたいと思います。むかし教室の隅っこにいたかたはぜひご一読ください。

ちなみに,この記事の発端は下の2つを読んだことです。

aniram-czech.hatenablog.com

d.hatena.ne.jp

考えることは楽しい。伝えることは厳しい。

わたしはよく瑣末なことにとらわれたり,壮大な妄想にとりつかれたりします。そして考えたことを誰かに伝えたくなります。

「考える」というのは頭のなかに「コブ」的なものを育てる行為です。むくむく大きくなる「コブ」的なものを手のひらでさわって「きっとこういうものだ」と認識している。頭から取り出し目で見ると,「実際にはこういうものだったのか」と驚く。たいていは残念な驚きですが(天才的発想だと思っていたのに!),それでも確認するとスッキリします。そして,それをひとに渡して「へえ,こういうものねえ」とやってもらいたい。誰だって粘土をこねたら誰かに見せたいもんでしょう。

しかし残念ながら,コミュニケーション市場は,コミュニケーション強者と芸術家によって寡占されています。

コミュニケーション強者は頭の「コブ」的なものをいい感じの小さめサイズに切り取ることができます。頻繁に交換しあって「いい『コブ』的なものだね」とわいわいやっています。「コブ」的なものがいい感じに小さくならなくても大丈夫。それがファンタスティックなものなら芸術作品として世に出すことができます。

これをわたしがやろうとすると,妙に大きなサイズになってしまって,渡すにはためらってしまいます。小さい頃にはそれでも渡していましたが,ウザがられるのでやめてしまいました。芸術的な形をしているわけでもありません。結果,わたしの頭はこね途中の大きな「コブ」的なものだらけです。

じゃあもう沈黙して下を向いているしかないんでしょうか。頭が重いよー,肩こりひどいよー,と嘆くしかないんでしょうか。わかっていただけますよね,この苦しみが。人生をかけて,頭がちょっとずつ重くなっていくんです。これを軽くしたい! ゴツゴツしたのを取り出したい!

わたしは書きたい。チョー書きたい。だって話すのが苦手なんだもの。

みなさん、そんなに「書きたい」んですか?

そこまで頑張ってアウトプットして、友達や見ず知らずの人のリアクションを得たいのでしょうか?

「書かされている」人々 - シロクマの屑籠

わたしはね,そんなに「書きたい」んですよ。そんなにがんばってアウトプットして,リアクションを得たいんです。

自分の考えが自分自身にまとわりついている状態というのは気持ち悪い。なんとかしてコイツを分離したい。でも,会話とかだと,サイズ感が合わない。コミュニケーションに最適なサイズでやりとりはできない。それでも「コブ」的なものをやりとりしたい。埋まっている「考えの素」みたいなものを,ぐにっと引っ張って,ぷちっと取って,目で見て,「おー,こういうものだったのか,手で触ってた感じではもっと違う形だと思ってたぜ」とやりたい。仮にそれが誰にも届けられなかったとしても,せめて自分の目では見てみたい。

こういう思いが強くて,結構な期間,アウトプットめいたことをやってきました。

皆さんなんやかんやいいますけど,わたしたちコミュニケーション弱者にとって,ネットって良いものですよね。

わたしは2000年代にはネット上に文章を書いていました。最低限の HTML と FTP を勉強して,ホームページを作ったり,ブログを書いたりしていました。当時からその時々にハンドルネームを作って,その時しか言えないようなことを,貴重な青春を削りまくって,ほんのちょっとのひとに読まれながら,書いていました。そしてすこし書かない期間があって,また書き出しました。この間にウェブサービスはガンガン成長して,いまははてなブログもあります。

ハンドルネームと節度を大切にすれば,ブログにリアルの瑣事がもつれこむリスクは激減します。

twittermixifacebook といった SNS は,やっぱり苦手です。 結局は小さいサイズでのやりとりなんですよね。「所属コミュニティ」ありき,というのも苦手な部分です。でも,はてなブログのように「ブログ主体+オマケ程度の SNS 」という「基本的に勝手にやりつつ,コメントがつけやすい」というのは好きです。

マイナーなジャンルでも,検索エンジンからひとっ飛びでそれが好きな人(や嫌いな人)を探し出せるのも嬉しいです。探し出せるとわかっているから,マイナーなことでも書く気になります。

隠れて生きよう。インターネットの片隅で,ハンドルネームを片手にブログをやろう。頭に埋まった「コブ」的なものをひっそり展示しよう。

これまでわたしたちは苦しい二択を迫られてきました。 自分の全存在を白日のもとに晒して苦手なあの人の視線に耐えながら意見するか,匿名の闇に逃げ込みついには自分自身の身体も見えなくなるか,嫌な二択です。

しかし,いまなら「飲み会で話したら絶対にウザがられるだろうけどちょっと言いたい『新入社員の心得』」をネットに書いて,飲み会では爽やかに好きなエロ漫画の話に徹するということも可能です。反対に,「パートナーに話したら絶対にフラれるけど大演説したい『わたしの変態性癖』」をネットに書いて,パートナーのまえでは紳士に振る舞うことも可能です。

わたしは50年前に生まれていたら,絶対に部下にウザがられる説教野郎になっていましたし,妻や彼女に愛想を尽かされる変態性癖野郎になっていました。いやそれより,その時代に生きていたらこの歳まで生きてこれた自信がありません。20歳くらいで死んでいました。

長いコンテンツでのやりとりは,一部の文芸人からわたしたちに開かれました。

ハンドルネームという日本文化とウェブサービスの発展のおかげで,コミュニケーション市場で迷子になっていたわたしたちは新しい居場所を見つけました。村での生活は息苦しくて,都市での匿名の市民としての生活は虚しくて──でもまた,新しい村で名前とともに生活することができるようになったんですよ。 嬉しいことじゃないですか。

諦めるのはまだ早い。頭に「コブ」的なものが埋まっているコミュニケーション弱者よ,はてなブログアカウントとハンドルネームを持て!

もちろん,引用元の言うように,「書かされている」層は存在するでしょう。この世には「コミュニケーション強者」と「伝えたいことを抱え込んでいるコミュニケーション弱者」しかいないなどと言う気はありません。そしてこれらは連続的に存在しますから,警鐘は有意義だと思います。 しかし,まあ,物事には良い面も悪い面もあって,わたしたちにはラッキーだったねムフフと,そう思っているんです。むふふ。