岡八重吉.com

おたくの書斎です 綺麗な話も汚い話も

「わたしの愛するひとびとに愛されないとしても,わたしは愛するものについて書きたい」から,「日本地味ブロガー連盟」に加入しました

これまで3回にわたって,「わたしは知的生産が好きなんだけど,知的生産については書かない」という話を語ってきました。この話題の着地点として,「日本地味ブロガー連盟」に加入したことを書こうと思います。

xn--45qr7dsxlyq1d.com

xn--45qr7dsxlyq1d.com

xn--45qr7dsxlyq1d.com

「日本地味ブロガー連盟」に加入しました

「わたしの愛するひとびとに愛されないとしても,わたしは愛するものについて書きたい」ことと日本地味ブロガー連盟に加入したことにいったいどんな関係があったのか。わたしのこころの内を振り返ってみます。

この連盟に加入することで即物的なメリットは発生しません(たぶん)。「◯◯をゲットできるから」というかたちで理由を語ることはできません。しかしそうは言っても,何かしらの意味を感じてはいます。

「地味なブログである」とみずから名乗ることは「地味なブログである」こととは異なる

地味なブログはあまた存在しています。 派手なブログに比べてずっと多いはずです ── もっとも,地味であるがゆえに認知されず結果として派手なブログばかりが多いように感じることがあるかもしれませんけど。

地味なブログが派手なブログに比べてじゅうぶんに多いのであれば,地味なブログはたんに「ブログ」といえば足ります。

この社会において多数派は積極的に多数派であることを主張しなくても済みます。異性愛者がわざわざそうと名乗らず,サラリーマンがわざわざそうと名乗らず,高校生や大学生がわざわざそうと名乗らないように,地味なブログであることをわざわざ名乗る必要はありません(これがよいことかどうかは,いまは検討しないでおきます)。

けれども「地味なブログである」とみずから名乗ることにわたしは一定の意味を感じます。

この宣言によって,自分を通常の地味なブログとは微妙にニュアンスの違う立場に置くことができます。なぜって,地味なブログは「地味なブログである」とみずから名乗りませんから。

このニュアンスの違い……まだるっこしい分析をすっ飛ばして,直裁的に言うならば,この宣言には,

「わたしは(地味なブログっぽくないことをやろうとしているけど,でも心は)地味なブログだから! 文句を言わないで!」

というニュアンスが含まれている気がします。

下品なことを書くけど,文句を言わないで!

「文句を言わないで!」

  1. 需要のないテーマだけど,文句を言わないで!
  2. アイキャッチ画像や文字装飾を使わないけど,文句を言わないで!
  3. ある立場の正義からは非難される内容だけど,文句を言わないで!

「地味なブログである」という宣言には,こういう「文句を言わないで」というニュアンスが含まれている気がします(とくに3番目)。「ある立場の正義からは非難される内容だけど,文句を言わないで!」

これが「わたしが日本地味ブロガー連盟に加入した理由」です。日本地味ブロガー連盟に加入することで「ある立場の正義からは非難される内容だけど,文句を言わないで!」と言いたかったんだと思います。たぶん。

── いえ,もっと恥ずかしがらずに言います。

ある立場から非難されるだけならいいのです。匿名性の担保されたネット社会においては非難なんてものは苦笑して小馬鹿にしてスルーすれば済むものです。そう,どこの誰とも知らない匿名のイヤなヤツならね。

でももし,非難してくるのがわたしの大好きなひとびとだったら? わたしが彼等の頭の中身をみて「なるほどー!」と静かに跳ねている遠くで,彼等がわたしを「気持ち悪いもの」と感じたら? それがどれだけソフトで「眉をしかめる」程度のものであっても,なんの準備もなければ,きっとわたしは動揺するに違いありません。

わたしが書きたいもの

いいですか。

わたしは「SMは純愛だ!」だの「男の娘は攻守ともにカワイイ!」だの,そういう話がしたいんです。それらを,ネットカルチャー的文脈で「マジ萌えだわwww」で済ませるのではなく,「何が萌えなのか」「何がカワイイのか」「なぜ(性的に)興奮するのか」「そもそもなぜ二次元に興奮するのか」「SMとは何なのか」「二次元的な意味でのSMは何なのか」「カワイイと萌えは同じものか,違うものか」「萌えと性的興奮は同じものか,違うものか」といった疑問をひたすら内省し続けたいのです。

わたしはもっと,オタク的なもの(二次元的なもの)への言語化をすすめたい。それらの言語化を通して,自分自身について語りたい。わたしにとって二次元的なものと自分自身の内面とは不可分です。それが言い過ぎだというなら,こう言い直しても良い ── わたしが書きたいのは,自分自身の内面と,二次元的なものとの “接点” である,と。

これはどこの層の需要もあまりない気がしています。

しかし,わたしにとっては切実な疑問であり,できるかぎり言語化を進めたく思っています。

理想をいえば,同じような疑問を持つひとたちに何かを届けたり,「言われてみれば,そうかもね」と思ってもらえたり,この内省の過程を楽しんでもらえればと思います。

わたしには “宣言” が必要でした。

そういったわけで,わたしは日本地味ブロガー連盟に加入しました。